#002 「なめくじ長屋」を探せ! (その2)
こんにちは、古今亭志ん八です。 落語探偵団での私の初ミッションということで、今日は名人・志ん生師匠がかつて住んでいた『なめくじ長屋』探しに挑戦です。 早速これから現地に向かいます。 が、その前に! 事前に探偵団スタッフと、資料を元に当時の様子を下調べしましたので、その内容をご紹介します。 資料的には本人が語った内容を口述筆記したものから、家族の方が書いた(語った)もの。そして、評論家や愛好家の人が書いたものや小説になったものなど、志ん生師匠について書かれた本は量的には結構あるようです。 ただ、書かれているエピソードは重複していたり、参考文献などという形で元をたどっていくと、数は絞られていきます。 本来ならば、本人が語ったものがもっとも信憑性が高い気がしますが、これがなかなか曲者!のようです。 ここでは資料をいくつか比較して、最も妥当性が高いと思われる情報を紹介していきますが、疑問点やお気付きの点がありましたら、お知らせください。 まず、『なめくじ長屋』に志ん生師匠が暮らしていた時期ですが、 昭和3年4月初旬(37歳)〜同11年2月11日(45歳)です。 ちなみに、この「なめくじ長屋」を一家が脱した日は2・26事件の当日で、引越しのために呼んだはずのトラックがなかなか来なかったという話が残っています。 参考までにこの業平時代前後の志ん生師匠の改名履歴をまとめてみました。 資料によって順番や時期、はたまた回数に至るまで諸説あります。 この業平時代に金原亭馬生を襲名するあたりから世間での評価も高まりました。 そういう意味で、「なめくじ長屋」は今風に言えば、まさにパワースポットですね。 あ〜、あやかりたいものです。 | |
志ん生師匠との関係について | |
私の師匠の志ん五は、志ん朝の弟子なんですが、修行生活を志ん生師匠のところで過ごしたんです。 志ん五が、志ん朝師匠のところに入門に行ったところ、その日たまたま家にいた志ん生師匠が、「おれのところで引き受けるよ」っておっしゃったようです。 そこで、背が高いので「高助」という名前をもらって、志ん生師匠のところで内弟子修行をしました。 後に志ん生師匠が亡くなり、志ん五は志ん朝師匠のところに戻ったようです。 そんな訳で、私は志ん生師匠の曾孫弟子にあたります。 もちろん、会ったことはありません。 私が生まれる前に志ん生師匠はお亡くなりになっていました。 関係を図に描くとこんな感じになります。
青文字は物故者。 | |
現地調査編へ続く・・・・・> |